Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~

  • キッチンカー
大阪校修了

「Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~」の基本情報・アクセス

店舗名 Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~
住所・場所

兵庫県・大阪府・京都府・奈良県を中心に関西一 円で出店(常設店舗なし)

営業時間 イベント・出店場所により変動(目安 11:00~ 18:00)
Instagram@dr._yellow_diner

コンセプト

「Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~」は、“見ると幸せになれる黄色い新幹線・ドクターイエロー”をモチーフにした、アメリカンダイナースタイルの移動カフェです。
鮮やかな黄色と青のブランドカラーで統一したキッチンカーは遠くからでも目を引き、イベント会場や街角で特別な存在感を放ちます。
元新幹線運転士として30年、安全と頼を守ってきた経験を活かし、「安全・速さ・頼性」を大切にした運営を心がけています。
フードはアメリカ屋台をベースにしつつ、日本人の味覚に合うようアレンジし、ボリュームと楽しさを提供。
ドクターイエローの「見た人を笑顔にする存在」
をそのまま体現し、料理と空間を通じて幸運と元気を届けるキッチンカーです。

お店・メニューの特長

当店の看板メニューは「チキンオーバーライス」
「ハッピーチキンライス」「テキサスBBQリブライス」の3本柱。スパイス香るチキン、誰でも食べやすいジューシーチキン、豪快なバーベキューリブと、それぞれの味わいで、ランチにもイベントフードにも喜ばれています。
サイドメニューには「ハッピーチキン」「シャカシャカポテト」「チュロス」を用意し、幅広い世代に対応。
夏には「かき氷」や「レモンスカッシュ、ティーソーダ」がSNS映えし、子どもから大人まで笑顔になれる商品です。
メニューにも黄色を基調にし、料理を手にした瞬間からワクワク感を演出。
ボリューム感、手作りの温かさ、そして写真に撮りたくなる楽しさを大切にし、“幸せを届ける屋台飯”を目指しています。

Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~

「Dr.イエローダイナー~幸せの黄色いキッチンカー~」
オーナー 浅井 博久さん

 Cafe'sLIFE 大阪校
キッチンカーカフェ開業プロジェクトコース 修了

開業したいと思ったきっかけ

新幹線運転士として30年勤務し、常に「安全と言頼」を胸に人々を運んできました。定年を前に、第二の人生をどう生きるかを考えたとき、「人々に役立つ場所をつくりたい」「地域を気にしたい」という想いが湧き上がりました。
実家の不動産を活かし、地元に貢献できるカフェを開くことを目標にしましたが、まずは小さく始められるキッチンカーに挑戦することを決意しました。
鉄道の世界で得た「安全・速さ・正確さ」と、私自身が好きなアメリカンカルチャーを組み合わせ、“ドクターイエローメアメリカンダイナー”という独自のコンセプトが誕生しました。
人々を運んできた新幹線運転士から、今度は「幸せと元気を届けるキッチンカー店主」へ。
そんな新たな挑戦の物語が、ここから始まりました。

開業準備~OPENまでのストーリーやエピソード

2024年、30年間勤めたJR東海を退職。
退職する半年前に「カフェズライフ」に入学し、飲食業・移動販売の基礎を学びました。全くの未経験でしたが、3ヶ月の運営講座、キッチンカー専門講座で、仕入れ・調理・接客から資金計画まで体系的に習得。
さらに神戸よろず相談所や神戸コンシェルジュで創業塾を受講し、事業戦略と経営管理の基盤を整えました。
パートナーはアパレル業界25年の経験と飲食経験5年を持ち、SNS戦略やメニュー開発を担当。
二人三脚で開業準備を進め、「Dr.イエローダイナー」が誕生しました。キッチンカーのデザインは新幹線をイメージし、イベントや街角で注目される仕様に。
初出店から口コミとSNSで少しずつ認知が広がり、地域イベントでも好評をいただけるようになりました。

カフェズライフでの思い出

カフェズライフで過ごした日々は、今の自分にとって大切な基盤です。
飲食業未経験という不安を抱えていた私に、講師や仲間たちは常に背中を押してくれました。
特に「顧客視点に立つ運営」「ブランド戦略の重要性」を学んだことは、現在のSNS発信やメニュ一開発に直結しています。
授業で学んだ理論をそのまま現場で実践できるよう工夫されたカリキュラムにより、実際の開業準備でも大きな助けになりました。
また、同じ夢を持つ仲間と学び合えた時間は大きな財産です。
お互いの進捗を報告し合い、励まし合うことで、起業の孤独感も乗り越えることができました。
卒業後も「仲間の存在が心の支えになる」と感じており、カフェズライフでの経験は今も日々の挑戦を支えています。

最後に(今後の展望や思いなど)

今後はキッチンカーでの安定運営を基盤に、「ハッピーチキン」というブランド商材を確立させ、地域の名物へと育てていきます。
将来的にはそれを店舗展開につなげ、地域の新しい食文化として定着させることを目標としています。
そして、この名物を日本国内だけでなく世界に広げ、各地で「ハッピーの輪」が広がることを願っています。
私は48歳で脱サラし、飲食経験ゼロから挑戦を始めました。
この経験を活かし、同じように夢を追いかける人たちへ教示できる存在でありたいと思います。
これからの余生は、とにかく地域や社会、そして世界に貢献し、料理を通して人々の心をつなげる活動を続けていきたいと考えています。
誰かの一日を少しでも明るく、笑顔にできる存在であり続けたいです。